今は戦後であるが戦前でもある。相良倫子『生きる』からの連想
『暮しの手帖 95号』澤田編集長のエッセイに相良倫子さんの詩『生きる』が全文掲載されているらしいことを知った。
平成30年沖縄全戦没者追悼式にて、倫子さんが朗読したこの詩。6月23日当日、わたしは友人の結婚式に参列のため中継を見ることはかなわなかったが、あとから読むことができた。何度読んでも、一連目から鳥肌が立つ。ことば遣いのセンスが素晴らしく、こちらの五感が研ぎ澄まされるような描写力、中学三年生の詩とは思えない。ほんとうにすごい。
この詩を読みながらわたしは、藤田貴大(マームとジプシー主宰)の問題意識と通ずるものを見とっていた。劇作家であり演出家の藤田さんは、芝居のなかでこれと同じことを言っていたんじゃなかったか。マームとジプシーは、沖縄戦から着想をえた今日マチ子の漫画『cocoon』を2013年に舞台化し、2015年に再演した。
(倫子さん)
なぜなら、未来は、
この瞬間の延長線上にあるからだ。
つまり、未来は、今なんだ。
マームではどうだったか…検索エンジンにいくつかのワードを入れてみると、いとうせいこうと高橋源一郎の対談(2015年)が引っかかった。
(上記対談6ページ目)
「cocoon」は過去を振り返っていないんです。劇の中に、「今は過去から見た未来だ」っていうセリフがあるんです。
自分が生まれる前の、過去のできごとと向き合うとき、自分の点と過去の点のあいだをどう埋められるかはテーマだな、とつねづね考えている。このいとうせいこうと高橋源一郎の2015年の対談ははじめて読みました。自分のことばかり考えて、未来のことを考えるのがおろそかだったことに気付きました。未来は、今なのに。